今年の2月9日に放送されたNHKのETV特集「宮沢賢治 銀河への旅~慟哭の愛と祈り~」をご覧になった方も多いと思います。

番組では、宮沢賢治の親友・保坂嘉内という人とのこれまであまり知られていなかった交流が描かれていましたね。

「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」という宮沢賢治を代表する作品が親友の保坂嘉内の大きな影響のもとに書かれたという驚くべき内容でした。

何より私が最も興味深かったのは、今私たちが暮らしている八ヶ岳が物語の背景としてとても重要な役割を担っていたということでした。

正確な表現ではありませんが、宮沢賢治が八ヶ岳を連想させる題材を物語に組み込んだのは、この場所というより保坂嘉内という人物に対する切ない愛情がそうさせたのだと思いますが、とても身近な場所なので見に行くことにしました。

放送で紹介されていた社は清里の樫山地区にあります。

最初に目指したのは「八ヶ岳権現社」。

清里の樫山は国道141号から東に数キロ入った場所にあります。

清里と言っても清里駅や萌木の村がある現在の清里の中心地よりはかなり南に位置しています。

清里の中でも古い開拓地で当時としては最も北に位置する部落だったと思われます。

八ヶ岳権現があるのはその樫山地区の一番北側の小高い丘の上。

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上の写真で、横断する松林の右端あたりの丘の上に社があります。

地元の農家の方たちで運営されている蕎麦店「北甲斐亭」が近くに有ります。

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この写真の中央付近が北甲斐亭です。

そして、左右にひろがる濃い緑の林が松の防風林です。

北甲斐亭に三社参りの案内板があります。

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三社参りは270年ほど前に行われていたお参りで、天候に左右されることが多かった昔の暮らしの中で、雨ごいを八ヶ岳権現社に、晴天を日吉神社に、八ヶ岳おろしと呼ばれる風を防ぐことを風の三郎社に祈る風習が三社参りと言われていたそうです。

北甲斐亭を起点に防風林を通る遊歩道を10分ほど歩けば八ヶ岳権現社です。

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ほとんど荒れ放題のハイキングコースですが、この辺りは若干整備されています。

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「雨ごい」をお祈りする社、小さな石の祠ですね。

どちらかというと「雨ごいの松」、「五幹の松」がある場所と言ったほうが解りやすいかも知れません。

その「五幹の松」がこちら

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左端の幹は枯れてしまっています。

現在は雑木が生い茂って山はあまり見えないのですが、木が無ければ大門川の谷を眼下に雄大な八ヶ岳を拝めたのではないかと思われます。

八ヶ岳権現の祠の傍にもう一つ小さな石の祠が設置されています。

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風切りの松「風の三郎」と彫られていますね。

後程紹介する、三社参りのひとつ「風の三郎社」は実は別の場所にあります。

この石碑に関する説明は残念ながら分かりませんでした。

ですが、八ヶ岳おろしと言われる山から吹き下ろす強風を防ぐ松の防風林はここから南に樫山地区の畑を守るように伸びています。

雨ごいと共に風から畑や作物を守ることがとても重要なことだったことは間違いありません。

南北に延びる松林全体が「風切りの松」として今も昔も機能しているわけです。


古い記録に、八ヶ岳に「風の三郎岳」という山があります。

この「風の三郎岳」は権現岳だと言われています。

樫山地区から見える権現岳。

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インターネットで風の三郎岳はギボシだという説を読んだことがあります。

私は研究者ではないので詳しいことは分かりませんが、この地からギボシは見えません。

現代人が見るとカッコ良いけれど、見る人によっては恐ろし気に見えなくもない「権現岳」が「風の三郎岳」だという方が何となくしっくりきますね。


松の防風林は今も残っています。

それが、風切りの松と呼ばれている防風林です。

八ヶ岳に家を建てたころは金色に黄葉するカラマツの端正な林に惹かれていました。

それは今も変わりませんが、改めてここの防風林を見ると変に枝を切り落とした都会の街路樹などと違って、自然な樹形をした松林はとても美しく感じます。

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この林の中も一応ハイキングコースとなっています。

残念なのは全く整備されてなくて、歩くのも困難なほど。

切り倒された松が置き去りにされたままになっています。

戦時中この松の木から松根油を採取したそうで、ハイキングコースの中に小さな案内看板が立っています。



そして、もう一つの祠が風の三郎社。

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これがその社です。

左の赤い屋根の祠が利根神社。

右の小さな石の祠が「風の三郎社」です。

とても分かり難い場所にあります。

樫山地区は谷を挟んで大きく二つに分かれています。

八ヶ岳権現社は西側の部落の北の端にあるのに対し、

「風の三郎社」があるのは「ひがしっぱら」と呼ばれている東側の部落にあります。

しかし、北甲斐亭の案内板をみても、清里フットパスの「三社参りの道」の案内図を見ても自力でたどり着くことはなかなか難しいと思います。

現地に案内板等の標識類は皆無です。

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民家が多くある場所にありますので、住民の方に尋ねて探すことをお勧めします。

利根神社はこの地域に多い利根川さんの神社だそうです。

部落の方たちの為の私的な神社に外部の人間が無神経に出入りすることはもしかして迷惑なのかもしれません。

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風の三郎社

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ずんぐりむっくりの可愛い祠。



三社参りのもう一つの社が日吉神社です。

樫山の西から東に抜ける道沿いに有ってその名の通り、晴天を祈った神社とされています。

三社の中では最も本格的な神社です。

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参道にあたる石の階段の両側にある杉の木は一見の価値があります。

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樫山地区は八ヶ岳から南アルプスまで一望できる絶景の地にあります。

空が広く、夜は明かりも少ないので天候さえ良ければ美しい銀河を見ることも難しい事ではありません。

保坂嘉内が描いた南アルプスの空を駆けるハレー彗星のスケッチはこの地域に住む多くの人にとってとても身近な夜の景色です。

このスケッチに書いた嘉内の言葉
「銀漢ヲ行ク彗星ハ 夜行列車ノヨウニニテ 遙力虚空ニ消エニケリ」

なんと、銀河鉄道の夜がこのスケッチ一枚に完結しています。

樫山地区からもスケッチに似た南アルプスの景色を見ることができます。

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保坂嘉内のスケッチはネットで検索すれば簡単に見ることができます。


今から約20年前、土地だけあって家はまだ建っていませんでしたが、しし座流星群を見るためにここに来た夜のことを今でも鮮明に思い出すことができます。



今日のテーマは宮沢賢治と保坂嘉内の話を聞いたことがきっかけですが、もう一つちょっとした理由があります。

2年前に我が家にやってきたラグドールのベル。

実は正式な登録名は campanella カンパネルラです。

昔見た猫のアニメによる銀河鉄道の夜から名付けました。

もうお分かりだと思いますが、カンパネルラが鐘という意味で通称ベルになりました。


ミルクは本当はジョバンニにしたかったのですが、呼びにくいとかいろいろあってあってミルクになりました。

その代わり、と言っては何ですが正式な登録名は MilkyWay 銀河 です。

ということで通称ミルク。

普段はミルクッチだけでなく、ミーちゃん、ミー助と呼ばれております。


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